橋北中学校水難事件
第二次世界大戦中の7月28日、米軍の空襲を受け250名もの人間が命を落とした。
火葬仕切れない遺体はこの海岸に埋められたと伝えられる。
そして昭和30年、この場所で水泳教室を開いていた中学校の1学年女子生徒36人が溺死した。
生存者はわずかに9人。
一度に出た水難事故死としては日本最大である。
生存者の証言によると、もんぺ頭巾の姿のモノが女子生徒を海に
引きずり込んでいたという。
これは一人だけでなく、生き残った生徒の内の5人が証言した。
多数の同時証言が取れているので疑う余地はなく、空襲で死んだ者の怨念が海に引きずり込んだ以外に考えられない。
また、その後も事故が絶えず、現在は遊泳禁止である。